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南山(近世)


 江戸期の広域地名。陸奥国会津郡・大沼郡と下野国塩谷郡にまたがる。江戸期の南山は,中世における南山のうち陸奥国の長江荘と称された地域と塩谷郡の一部を含む。江戸期も塩谷郡の一部が南山に含まれるのは,戦国末期にこの地が陸奥国長江荘の鴫山城(現福島県田島町)に本拠を置く長沼氏の支配下にあったためと思われ,天正18年の豊臣秀吉による奥羽仕置で,この地が会津領として認められたことによると思われる。文禄3年7月の蒲生領高目録帳に南山として計1万7,787石余と見え,郡名のように扱われている(岩代国古文書)。このうち塩谷郡の五十里【いかり】・上三依の2か村,計477石余が含まれている。当地は,はじめ会津藩領であったが,寛永20年7月会津藩主となった保科正之は本領23万石のほかに預り地として南山5万石余の支配を命じられた。この時から当地は幕府領となり,南山御蔵入と称せられることとなったが,元禄元年幕府の直接支配となり,以後宝永2年会津藩預り地,正徳3年幕府の直接支配,享保7年会津藩預り地,宝暦5年幕府の直接支配,宝暦13年会津藩預り地,天保8年幕府の直接支配,弘化4年会津藩預り地となり,文久3年には会津藩領に編入された。支配の中心となったのは,陸奥国会津郡田島村(現福島県田島町)の陣屋(代官所)であった。南山御蔵入領の村高は,文化15年の村日記によれば,陸奥国会津郡3万1,457石余,同国大沼郡2万4,481石余,下野国塩谷郡951石余の計5万6,889石余であった(福島県史)。このうち,南山に含まれる塩谷郡内の村は,横川村・上三依村・独鈷沢【とつこざわ】村・五十里村・芹沢村・中三依村の6か村。現在の福島県南会津郡下郷町・田島町・舘岩村の全域と会津若松市の一部および本県では藤原町北部が含まれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7280869