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茂木町(近代)


 明治22年~現在の芳賀郡の自治体名。茂木町と神井・小井戸・鮎田・林・三坂・増井・青梅・檜山の1町8か村が合併して成立。旧町村名を継承した9大字を編成。役場を茂木に設置。明治24年の戸数680・人口4,450(男2,291・女2,159),学校2,水車場11。同25年茂木尋常小学校が茂木尋常高等小学校,昭和22年茂木小学校となり,同41年小井戸小学校を統合。戸数・人口は,明治22年704・4,252,同32年1,045・6,192,同42年1,598・8,620。日清戦争の頃,葉煙草・民営刻煙草の生産が急増して,「鎮台の広島か関東の茂木か」といわれるほどの景気のよさであった。明治32年には,合資会社2社を含めて,工場は43に及び,明治30年創業の茂木銀行も「煙草売買ノ盛況ノ結果,資金ノ需要益々喚起シ同32年資本金8万円増額ス」(県史近現代7)と好況であった。同36年の職工数3,600(男1,226・女2,374),刻機械1,545台を数え,東京・茨城方面に出荷する(茂木の歴史)。同37年煙草専売法施行後も7つの委託工場が残り,同38年には,あやめ・もみじなどを32万貫生産し同43年には職工数2,454(男814・女1,640)であった。一方葉煙草の作付面積は81町余・27万貫余を生産(同前)。同年の芳賀郡統計書によれば製造所・生産高は木綿織20・140反,酒造2・812石,醤油2・215石であり,商工業者は料理屋11・飲食店47・湯屋7・芸妓10・人力車20・販売業259,木賃宿2,芸者屋3,写真屋1その他で合計877であった。大正4年委託工場廃止に伴う職工解雇で失業者が増大し,戸数401・人口1,671も減少し不況に陥り(県史近現代3),同7年には町内困民500余が資産家を襲う米騒動が起こる(下野新聞)。同9年国鉄真岡【もうか】線が開通し,茂木に茂木駅を設置。同11年実業補習学校(のち茂木高校)開校。同12年新煙草専売工場の建設が進み,不況の打開が計られる(茂木郷土誌)。同13年の面積は,東西8km余・南北4km余,田307町余・畑233町余・山林1,558町余,宅地16万坪余,世帯1,701・人口8,302,小学校5・実業補習学校1・宇都宮地方専売局茂木出張所1・各種団体は軍人分会・婦女会・愛国婦人会支部・赤十字社支部・青年団・工友奨学会・八千代会その他10,兵役は現役陸海軍兵数26,神社は郷社1,村社3,寺院11・郵便局・茂木警察分署・登記所各1・銀行2・劇場1・芸妓見番1・電気会社1・自動車2・人力車10・自転車430・その他。昭和恐慌期には負債戸数が多く昭和元年~昭和11年県自作農創設維持資金5万円余を借りるが整理は滞りがちのうちに第2次大戦に突入する。昭和26年中川村馬門の一部から塩田,同村後郷の一部から上後郷起立。戦後の農地改革により,同28年の農家数737うち小作農44・自作農407・自小作281,その他5(市町村誌)。昭和22年茂木中学校開校。世帯・人口は,大正9年1,639・7,600,昭和10年1,789・8,606,同35年5,238・2万6,786,同45年5,030・2万1,978,同55年4,944・2万51。昭和29年須藤村・逆川村・中川村を合併し,合併各村の30大字を加えて41大字を編成。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7280956