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山内(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ中川村,昭和29年からは茂木町の大字。明治24年の戸数152・人口1,011(男507・女504),水車場1,船3。同25年河井尋常小学校山内分教室は,山内尋常小学校となり,同36年清音寺から鼓石に移転する。明治32年山内煙草会社,大坪商会,同41年中川煙草製造工場(従業員数41)が創業し,刻煙草を生産する。大正12年上組一同,教員住宅設置を請願する。昭和5年の紙漉農家数7,従業員数21。同33・38年と紙漉工場が閉鎖され,当地の紙漉業は終わる。第2次大戦の戦意高揚に合わせ,昭和18年住民に金属(火鉢・指輪など)供出を呼びかけ回収した金属(鉄・銅)の量(貫)は,山内下平100・11,山内鼓石21・14,山内仲70・9,山内元古沢4・2,山内戸越22・12,山内甲23・6(中川村常会綴)。同26年国鉄バス茂木山内線15km開通,同33年山内~甲間も開通する(茂木のあゆみ)。江戸期から昭和20年代まで楮を用いての和紙を生産し,葉煙草の生産も盛んであった。そのほか薪炭の生産および亜炭の採掘が昭和30年前後まで行われた。同44年永嶋化学工場が設立され,兼業農家も多くなった。世帯・人口は,昭和27年山内下平同30・201,山内下平38・234,山内圷26・141,山内水の木24・161,山内宿29・138,山内仲23・150,山内元古沢18・133,山内甲52・302,山内戸越30・174。同53年山内下平同27・124,山内下平36・147,山内圷24・29,山内水の木20・92,山内宿21・78,山内仲20・83,山内元古沢18・75,山内甲50・218,山内戸越33・153。同58年伝統の百堂念仏が復活する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7281075