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乙父(近代)


 明治22年~現在の上野村の大字名。明治24年の戸数100,人口は男262・女248,学校1・水車場2。明治7年泉竜寺に開校した乙父学校は同23年民家を仮校舎として西上野小学校となり,同26年上野第二小学校と改称,以後変遷を繰り返し,大正初期には高等科を併設する。大正11年楢原へ新校舎が建設され移転するまで当地が西部地区の学校中心地であった。昭和4年中越沢に現国天然記念物の鍾乳洞生犬穴が発見された。定期バスとして上信バスが乙母から延長して昭和33年乙父大橋まで運行するようになった。畑作は麦・コンニャク・桑・雑穀を主としていたが,近年柿平ではリンゴの栽培が始められ,シイタケ・ナメコの生産も盛んである。兼業農家が増え経営規模は縮小している。人口の減少が著しく,特に住居附の人口は20年間で60%減少している。住居附の昭和30年の世帯数18・人口110であったが現在世帯数9・人口32と減少した。昔は川を恐れて,山の斜面を通る峠道を利用していた。小春から楢沢を経て地蔵峠を越えて住居附へさらに住居附峠・八倉小峠を越えて中山郷の八倉村とも結ばれていた。北では檜沢峠から現在の甘楽郡方面との交流も多かった。昭和37年に電灯がつき,同40年代末に自動車道が開通したが,乙母・勝山・新羽へ移転した者もある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7282028