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上豊岡村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。碓氷郡のうち。はじめ幕府領,元禄11年から高崎藩領。延宝4年豊岡村から分村して成立。ただし「元禄郷帳」「天保郷帳」では中豊岡村・下豊岡村と合わせて豊岡村として記される。「旧高旧領」では村名が見え村高855石余。なお元禄15年の検地による反別は,屋敷5町1反余・田30町3反余・畑32町3反余。鎌倉期既に開通していたと推定される北国往還(草津道)が村の北を東西に,また南には中山道が東西に走る。この中山道には,慶長9年西隣の藤塚村との境に一里塚が築かれた。南北1対が現存しており,昭和26年県史跡に指定された。また一里塚の東方約500mの位置に江戸期中頃茶屋本陣(現飯野氏宅)が設置され,昭和37年県史跡に指定された。用水は板鼻堰の用水堀と原郷堰の用水堀を使用する。寺院に,慶長3年中村下野守開基と伝える曹洞宗豊岡山宗伝寺がある。文化年間に当村の山県友五郎が張り紙のダルマを考案し,農家の副業として役立つこととなった。幕末の改革組合村高帳では,高崎宿寄場組合に属し,高855石余,家数155。明治4年高崎県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。明治17年村内の中央部を信越本線が通る。同22年豊岡村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7282321