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香林村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。佐位郡のうち。はじめ幕府領,寛文2年前橋藩領,明和4年幕府領,天保10年上総貝淵藩領,同12年幕府領,同14年から旗本土岐氏領となる(郡村誌)。村高は,「寛文郷帳」で343石余うち田方142石余・畑方168石余・林高32石,「元禄郷帳」370石余,「天保郷帳」397石余,「旧高旧領」も同高。天保13年の村明細帳(香林下組有文書/県史資料編14)によれば,本田高338石余うち田方が高89石余・反別10町2反余,畑方が高148石余・反別46町8反余,新田は高59石余・反別16町1反余,村内には御林があり,その反別68町4反余,下草永4貫700文,家数96・人数390,農間商いとして質屋1,古鉄売買2,酒・菓子・わらじ売り1がいた。なお同村明細帳には,寺社として天栄寺のほか虎玉宮・泰節宮・天神宮・地蔵堂・観音堂・薬師堂2が記される。御林には林守が置かれ,また御林の下草を刈る権利は年貢上納と引き換えに認められ,売買の対象ともなっていた。また,御林からの薪伐り出しは当村の請負となっていたが,文政2年の請負につき内借願い(久保田家文書/同前)によると,薪出来高18万650束,このうち松木2万7,939束と楢・椚4万3,399束は2月までに船積み江戸廻し,松木9万3,059束と楢・椚1万6,753束は附役引払の際に御預分,松木1万2,440束と楢・椚1万3,240束は3月中に江戸会所へ送った分,松木4万6,524束と楢・椚2,100束は5月までに会所へ送った分となっている。幕末の改革組合村高帳では,伊勢崎町寄場組合に属し,高338石余,家数97。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同22年赤堀村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7282656