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白倉村(近世)


 江戸期の村名。甘楽郡のうち。小幡藩領。ただし上白倉村・下白倉村と分けて支配された。寛永14年織田氏は小幡藩領村々の検地を実施。同年の検地帳(町公民館蔵文書/甘楽町史)によれば,反別175町3反余うち田55町8反余・畑117町7反余・屋敷6町1反余。村高は,「寛文郷帳」で983石余うち田方622石余・畑方360石余,「元禄郷帳」同高,「天保郷帳」1,448石余。延宝6年領内当村ほか3か村と隣接する庭谷村・造石村との間で小川井関水論が起きている。小川井関(現雄川堰)は小幡藩の用水路で,小幡村地内南西部の翁橋下で雄川から取水し,村内を貫流し,藩陣屋地内・小幡新町では生活用水とし,北部4か村や他領の2か村を含めた水田約200町余の灌漑に利用された用水である。天明元年緑野【みとの】郡金井村(現藤岡市)の半兵衛らが上武両国に糸絹改所の設立を計画し,幕府に許可されたが農民の反対一揆で中止となった。これを上州絹一揆というが,打毀は8月10日から同14日夜までに西上州一帯に広がり,67か所に及んだ。この打毀に加わった当村の百姓清助らは,翌年11月幕府に処罰されている(甘楽町史)。村内に白倉神社がある。南北朝期に編集された「神道集」巻8に「上野国甘楽ノ郡ノ内,尾幡荘……白鞍ノ大明神ト申シテ……」と見える。白倉神社は,金光山という山号を持ち,白倉村の西南部(字半根石),小幡村との境際の山中に祀られ,祭神は金山彦命・大山祇命・日本式尊。上野志(上野志料集成)に「金光山ちんたら坊大天狗,宝暦西戌歳,白倉正一位大権現と号す」とあり,また年不詳の小幡領村々石高人数年貢等書上帳(松浦家文書/県史資料編9)の上白倉村の項に「白倉権現社地除地一町余」「大野林之内,天狗社白倉権現,山神社」と記されている。寺院については,「上白倉村,当国一ノ宮村光明院末天台宗榛名山円明院,真言山伏泉蔵院,同竜勝院」と記され,また「下白倉村,当国国峰村興厳寺末曹洞宗白倉山松泉寺」とある。幕末の改革組合村高帳によれば,小幡村寄場組合に属し,高1,448石余,家数190。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283227