高浜(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ久留馬村,昭和30年からは榛名町の大字。明治24年の戸数118,人口は男329・女299,寺院3・学校1・水車場5。県費支弁一等里道高崎室田線は,同26年頃の烏川洪水後改修され,同28年頃から高崎~室田間に定期乗合馬車が運行を開始した。同43年の大風害後旧道と並行する新道を北側に変更し,大正8年新路線を開設。同13年高崎の工藤自動車会社が乗合バスを運行し,昭和8年榛名合同自動車会社,同15年企業合同により群馬合同バスと改称され,現在群馬バスに引継がれている(室田町誌)。明治23年私立高浜高等小学校が村立となり久留馬高等小学校,同25年久留馬尋常高等小学校と改称。同41年の児童数は尋常科男172・女151,高等科男68・女28(久留馬村誌)。産業の中心は農業で,養蚕製糸織物や農間冬季の木炭製造などを副業としている。明治24年旧中野秣場・大野秣場の榛名山第一御料地3,099町余を借用し,旧82か村(19か町村)連合の森林組合中野興産組合が結成され造林や林道の開拓を続け現在に至る(久留馬村誌)。同29年を中心に生糸の共同販売を目的とした久留馬組が結成され,碓氷社に加入し,同43年産業組合法による保証責任久留馬信用販売組合となり,大正11年養蚕組合・農業改良組合・農業組合なども結成された。昭和10年碓氷社室田直営工場の操業により,久留馬信用販売組合は繭の直接出荷となっている。同15年久留馬信用販売組合と本郷販売購買組合が合併し久留馬村信用販売購買利用組合となり,同19年久留馬村農業会に合体,同23年久留馬村農協となる。昭和14年梨中心の果樹園芸組合結成。同30年の世帯数249・人口1,433。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7283450 |





