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角淵(近代)


 明治22年~現在の玉村町の大字名。明治24年の戸数205,人口は男506・女475,船10。明治28・40年と行われた烏川の浸食防止工事は,工事のたびに洪水で破壊されたが,同41年県費で再開され,翌42年完成し70町余の耕地が復活した。大正12年当地を河川敷である理由で県知事から無償で没収する通達を受けたが,認定取消訴訟を起こして勝訴した。当地は桑園が多く全国屈指の種繭生産地の原動力となってきたが,蚕糸業の衰退に伴い昭和51年桑園の大部分60町余が県営ゴルフ場と運動場に変換した。当地は明治期から昭和初期まで米・麦・繭を主産物とする純農村地帯であった。昭和初年頃から副業として賃機織りを営む家が増加し,同8年には37戸が2,164反の伊勢崎織物などを生産した(玉村町郷土誌)。同19・20年東京方面からの疎開者の受入れが行われた。同年8月14日当地が米軍の空襲にあい死者23人・焼失家屋70戸の被害を受けた。戦後食糧増産のため畑を陸田化して米作を行った。同37年の農業改良事業により,地内の東部に散在していた約20基の古墳が平夷され水田となった。同40年頃から酪農とビニールの野菜栽培が米・麦と並ぶ産業となる。昭和24年烏川の渡しは木橋になり同30年には永久橋が架橋された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283622