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七日市藩(近世)


江戸期の藩名甘楽【かんら】郡七日市に居所を構えた外様小藩元和2年金沢藩主前田利家の五男利孝が大坂冬・夏両陣の戦功によって甘楽郡内で1万石に封ぜられ,七日市に陣屋を造営して入部した前田氏は利孝から利意・利広・利慶・利英・利理・利尚・利見・利以・利和・利豁と11代・250余年在封して明治維新を迎える歴代藩主は駿府加番・大坂加番などを務めた藩領は寛文4年の「寛文朱印留」に上野【こうずけ】国甘楽郡内18か村・1万石とあり,天保5年には1万3,210石余となる当藩は宗家金沢藩の庇護下にあり,家臣団は立藩時に金沢藩から随従した家臣を中心に構成され,正徳6年には士分115人・足軽44人・小者87人・六尺9人・手廻10人・厩者12人の計277人であった藩財政も金沢藩から援助を受けることが多く,嘉永2年金沢藩への藩政依託問題も起きた収納は田方のみであるが,天保3年定納高8,052俵に対し,諸引が21%余にあたる1,761俵に及んだため,6,291俵にとどまった貢租収納の低下は藩財政を窮迫化し,明治2年藩債は4万417両に及んだ藩領の人口は,享保年間に1万余人といわれるが,のち減少した藩は藩領の人口増加をめざし,文化13年豪農層の醵出金から貧窮農民に育児手当を支給する生育講を発足させ,出産・養育・縁組・貧窮者の措置などに及ぶ民政条目を布達したまた,藩内では文化9年藩主利和と前藩主で養父の利以との間で紛争があり,宗家金沢藩の怒りを解くために須藤岡之進夫妻が自刃するという事件が起きている天保元年シーボルト事件に連座して永牢となった稲部市五郎が当藩お預りとなった維新期には元治元年武田耕雲斎が率いる水戸浪士の陣屋地通過,慶応2年藩主利豁と対立する横尾鬼角らの永蟄居,同4年上野西部を襲った世直し一揆勢の侵入などの諸事件にほんろうされたが,同年東山道総督府下に入って,会津藩討伐戦の戸倉・沼田両戦に出兵した維新期の藩領は,「旧高旧領」に甘楽郡内21か村・1万3,197石とある明治4年7月廃藩置県により七日市県となる




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283902