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新堀村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。碓氷郡のうち。安中【あんなか】藩領。村高は,「寛永郷帳」で607石余うち田方154石余・畑方453石余,「元禄郷帳」692石余,「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。なお692石余のうちには不動寺領13石余・崇徳寺領10石余・補陀寺領41石余・金剛寺領19石余が含まれる。古くは新堀村境と松井田宿の境の間は宇田の窪と呼ばれる原野であったという。文禄3年当村名主家の祖先が箕輪城主の命令で同地開発に着手し,56年後の慶安2年3代目弥右衛門の時に,農民78軒を取り立てて家並みも揃ったため,字名を新町・森崎と名付けたという(安中志)。字西谷戸の池塘上には寛永17年建立の用水池完成記念石碑がある。北条家臣大道寺駿河守の与力大将であった細矢大学は松井田城落城後土着し,箕輪城主の命により家来11人と新田開発に着手した。その子細矢方元も父の遺志を継ぎ,新堀村住人10人・松井田宿住人3人とともにこの用水池を完成したという。方元はこのほか本町池をも完成して607石の田地を開拓したため,安中藩より子孫代々屋敷免除と伝馬役御免の特典を与えられた(松井田の史跡)。寛文4年の屋敷帳(松井田町教育委員会所蔵文書)による家数152。また寛延2年の村差出帳(同前)では,家数204うち社家2・山伏1・道心庵1,男443・女460うち出家17・社人2・山伏3・道心2。なお幕末の改革組合村高帳では,松井田宿寄場組合に属し,高607石余,家数210。助郷は隣接する松井田宿へ出役し,元禄10年の助郷高607石(松井田町誌)。明治4年安中県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。戸長役場は明治6年新堀116番地に設置,その後地内を移動し,同17年松井田駅と連合戸長役場の設置となり,松井田駅乙524番に新庁舎が建設された。また明治13年新保理小学校が新築,同15年の児童数140・職員数6(松枝小学校沿革略誌),同18年松枝小学校と合併し群馬第87学区碓氷第三小学校となる。同18年高崎~横川間に鉄道が開通し,新堀に停車場が設置され,線路の勾配が急であるため,日本最初のスイッチバック方式の駅となった。同22年松井田町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283961