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干俣(近代)


 明治22年~現在の嬬恋村の大字名。明治24年の戸数100,人口は男296・女294,学校1・水車場27。同28年の戸数108・人口610(男300・女310)。世帯数・人口は,大正9年174・904,昭和5年241・1,365,同30年275・1,520,同50年316・1,367。地内北方の小串・吾妻鉱山は硫黄鉱山として昭和初期から操業を開始した。生産量は,昭和21年小串5,285t・吾妻2,669t,同31年小串2万2,795t・吾妻2万2,795tで,国内有数の鉱山となる。鉱山人口は,小串鉱山昭和15年864人・同35年1,481人,吾妻鉱山昭和15年441人・同35年1,318人とそれぞれ増加し,両鉱山の人口は村人口の約18%にまで達した。しかし外国からの安価な硫黄の流入から需要が減少し,同46年両鉱山ともに閉山となる。万座温泉は明治初期から本格的に開発されたが,大正末期までは冬は居住することができなかったため,昭和2年の旅館数はわずか3軒であった。同28年三原~万座間の自動車専用道路が開通し,同30年代には多くの旅館が操業を開始した。同58年の万座温泉観光客入込数は約47万人。産業の中心は農業で,明治期まではほとんど栽培できなかった米も昭和25年には作付面積が3,866aとなったが,その後減少し同49年には2,881aとなる。昭和41年バラキ教育キャンプ場開設。同49年県立バラキ青少年野外活動センター完成。同59年村営嬬恋スキー場開設。近年バラキ湖周辺ではレクリエーション施設の整備が行われている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7284508