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本宿村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。吾妻郡のうち。はじめ旗本松平氏領,元和元年旗本根津氏領,元和4年幕府領(吾妻郡誌)。寛永20年大戸村から分村したという(同前)。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに271石余。中山道脇往還の信州(草津)街道・大戸通りが村内を通る。嘉永元年から15年間中山道軽井沢の代助郷を勤める。温川から取水した霜田用水は,宿並から3村入会の霜田耕地へ引水。慶長19年に普請の記録があり,洪水のため過去74回当村・大戸村・萩生村で工事をする。関谷は権田道の分岐点で,寛永6年まで関所があった。大戸関所へ移転後も,関所付村として将軍の上洛や日光社参など非常時の警戒では,番小屋を設けて固め人足で詰めたり,普請の時には夫役の負担があった。村内の入会秣場甘酒原の利用をめぐり隣村の須賀尾村と境論になり,承応2年に裁許している。鎮守は源頼朝が浅間狩りの時参詣し美しい岡と賞した吉岡薬師(現吉岡神社)で,薬師入口の太鼓橋・灯籠は信州高遠石工による佳品。また一茶・白雄・大江山などの句額が奉納されている。鳩の湯温泉は村の西部温川河岸にある。元禄年間の「吾妻略記」では須賀尾湯と記され,効能は腫物やひぜん,かさなどによいとある。現在も1月14日の夜に行われる悪魔払いの獅子や鳥追いは,小正月の民俗行事として古い形式が残っている。また2月24日にはお茶講が行われている。幕末の改革組合村高帳によれば,大戸村寄場組合に属し,高271石余,家数125。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同22年坂上村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7284802