上吉田村(近世)

江戸期~明治22年の村名。入間【いるま】郡入西【につさい】領のうち。はじめ幕府領,正保年間旗本本田氏の知行,元禄11年川越【かわごえ】藩領,宝永元年幕府領,同4年旗本雨宮氏の知行,安永9年旗本横田氏の知行,寛政2年幕府領,同3年からは旗本大屋氏の知行。村高は「元禄郷帳」144石余,「天保郷帳」148石余。検地は慶安5年。村の規模は東西13町・南北2町弱。化政期の家数38軒。用水は高麗川より引用。水田が多く陸田は少ない。しばしば水害を被った。村民は余業として,近郷の山から越辺川に下した材木を受け継ぎ,江戸へ運送した。村内を八王子(東京都八王子市)から日光へ至る街道が通る。越辺川に冬期間板橋を架した。旧家は宮嶋姓の藤吉,代々名主をつとめた。信濃【しなの】国(長野県)諏訪氏の一族で,先祖は縫殿助を称し,松本氏とともに武田氏の旧臣であった。鎮守は諏訪社。寺院は天正15年に松本主計・宮嶋縫殿助創建の新義真言宗万福寺。小名はとうかの木・いかづち・前島など。明治初年小学校開設,生徒数30。同9年埼玉県に所属。同年の戸数48・人口243,馬9。物産は繭・鶏卵・米・木綿など。明治12年入間郡に所属。同22年坂戸村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7286715 |