発戸村(近世)

江戸期~明治22年の村名。埼玉郡羽生【はにう】領のうち。古くは太田荘葛浜郷に属したという。はじめ幕府領,のち甲府藩領,ついで再び幕府領。享保17年から下野足利藩領。検地は承応3年,新開の地は元禄12年。村高は「田園簿」で1,058石余,「元禄郷帳」1,038石余,「天保郷帳」1,028石余。北河原用水を使用。村の規模は東西17町・南北13町。化政期の家数139軒。高札場は村の中央部。鎮守は愛宕社,ほかに桑原社など5社。寺院は曹洞宗医王山長善寺で,慶安2年徳川家から寺領16石余を拝領。ほかに新義真言宗八幡山観乗院。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数142・人口652,馬21。物産は米・麦・大豆・小豆・ソバ・粟・蚕卵紙・酒・木綿無地紺縞・木綿縞・白木綿などで,余剰の米・麦・大豆・小豆は羽生町・館林【たてばやし】町(群馬県)へ,木綿は羽生・加須【かぞ】町へ出荷。同12年北埼玉郡に所属。同22年井泉【いいずみ】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7290142 |