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松山(中世)


 室町期から見える地名。比企【ひき】郡のうち。戦国期には「松山本郷」あるいは「本郷」と称している。応永16年閏3月16日の旦那売券に「松山内本郷」と見え,紀伊国の大夫公重増が,松山内本郷羽柴名字の檀那を実報院に永代沽却している(米良文書/熊野那智大社文書1)。天文年間になると小田原北条氏の勢力が江戸から川越【かわごえ】方面に伸び,同6年7月北条氏綱は河越城主上杉朝定を入間【いるま】郡三ツ木(現狭山市)に破り,ついで河越城も攻略した。朝定は難波田弾正の守る松山城へ退いたが,小田原北条軍の猛攻にあい落城し,上野【こうずけ】の山内憲政のもとに逃れた(鎌倉九代後記/川越市史史料編中世2)。同15年4月の河越夜戦の後,松山城は塀和【はが】氏続が守ることになった。しかし,同年8月太田道誉が攻め落とし,地侍上田政広が城将となったが,上田政広が寝返ったため再び小田原北条氏の支配下に入ることになった(年欠霜月13日の太田資武書状/川越市史史料編中世2)。「役帳」によれば,玉縄衆吉田勘解由の所領として「五貫文 松山本郷内」,松山衆吉村助五郎の所領として「拾三貫文 松山本郷之内 吉村寄子給田被下」,諸足軽衆多米新左衛門の所領として「四拾五貫文 松山筋 石橋 卯検見」「卅六貫五百文 松山本郷内 多米寄子衆ニ被下 但給田分」,同衆富島氏の所領として「廿三貫五百文 松山本郷内 寄子衆ニ被下 但給田」と見える。永禄3年10月25日の古河公方足利義氏書状に「氏康松山令在城」と見え,これより先上杉景虎が上野に出陣したため,それに備えて北条氏康は松山城に出陣している(白河証古文書/川越市史史料編中世2)。同4年閏3月27日の北条氏堯判物には「特ニ去正月松山筋伏兵之砌」とあり,上杉景虎の侵攻に対しての働きを賞している(武文)。この時松山城は上杉方の手に落ちたが,同5年4月5日の北条家印判状によれば,「松山本郷町人衆中」に宛てて本郷への軍勢の不入を保証し,陣中への小荷駄・伝馬継だけを依頼しており(武文),当時は小田原北条方の攻囲のもとにあったと思われる。さいたま市三室氷川神社所蔵の大般若経識語には「亥ノ年正月松山籠城」とあり,同6年正月に河越中院(仏地院)住持奝芸が,北条氏康の松山城攻撃に際し,岩付城主太田資正一門のため大般若経を真読している。しかし,武田信玄の援護をうけた北条氏康は2月4日松山城を落としている(2月21日の北条氏康書状/白河証古文書・川越市史史料編中世2)。その後,北条氏康はこれまで同盟関係にあった武田信玄と敵対するようになると,上杉輝虎と和睦している。同12年4月24日の北条氏康・氏政連署条書によれば,上杉輝虎が松山城の返還を要求したのに対し「一松山事 以上上田本地無其隠候」としてこの要求を退けている(上杉文書/大日古12-3)。同年8月5日の北条氏政書状では「松山一儀」について,上杉輝虎の使者広泰寺昌派・進藤家清に託して松山城が上田氏の本領であることを認めてくれるよう要請している(上杉文書/大日古12-1)。翌元亀元年2月6日の遠山康光書状では「一松之儀者 今度是非不被仰付候,但不遅々儀候」とあり,岩付返還のことは約しているが,松山城については触れていない(上杉文書/大日料10-4)。同2年6月10日の北条家印判状では「本郷町人」に宛てて本郷の市の売買などについての条規を定めている(新編武蔵)。天正4年9月24日上田長則掟書によれば松山城主上田長則は「本郷町人」に宛てて本郷の伝馬,売買などについての条規を定めている(武文)。同6年8月16日の上田長則印判状では「本郷宿中」に対し茂呂陣に兵粮等を沽却しないよう命じている(同前)。また同9年9月晦日の上田長則掟では「本郷町人中」に宛てて「松山領」における商売について荷留を命じている(同前)。上田朝定(安独斎宗調)は,天正3年に子の長則に家を譲り,同10年10月3日に没した(浄蓮寺過去帳)。この長則も同11年3月5日没し,その跡は憲直と憲定が継承した。同13年11月14日の岩崎対馬守下知状には「本郷宿地形結候而新市場割添候」とあり,松山本郷に新市場を創設し,本郷を本宿とし,新市場からは本宿の土貢として毎年500疋を進上するように命じている(新編武蔵)。同14年2月晦日の上田憲定制札では「本郷新市場」に対し市の商売などについて定めている(武文)。天正18年豊臣秀吉が東征の軍を起こすと,2月28日松山城主上田憲定は松山城下に制札を下し軍兵を集め(同前),同年3月11日の上田憲定印判状では「本郷町人衆 新宿本宿共ニ」に宛てて,松山本郷町人が籠城することを賞し,武具を整えて命を待つよう命じている(同前)。この新宿はおそらく新市場のことであろう。しかし,4月には上野から南下した上杉景勝・前田利家らによって松山城は攻略された。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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