臼井藩(近世)

江戸期の藩名譜代・小藩居城は印旛【いんば】郡臼井(佐倉市)中世の臼井城は千葉氏の支城として原氏が居城していたが,天正18年5月豊臣秀吉の軍勢によって落城同年8月三河国吉田城の城主であった酒井家次が,徳川家康の関東入国にともない,3万石で当地に入封して成立家次の父忠次は,本多忠勝・井伊直政・榊原康政とともに徳川四天王と呼ばれ,徳川氏譜代の重臣であり,当時徳川氏の家老であった忠次にとって長男家次がわずかに3万石しか与えられなかったことは不満であったようで,家康に家次の加増を願ったが許されなかった家次は慶長7年に領内検地を実施同9年12月家次が上野国高崎藩5万石に加増・移封されたため廃藩

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7291801 |