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海北郡(中世)


鎌倉期から見える郡名上総国のうち平安末期,「和名抄」に見える海上郡が南・北に分かれ,北部地域に成立した中世的郡なお,本来海南郡と称されるべき地域が佐是郡になったといわれる(千葉県地名変遷総覧)「吾妻鏡」承元2年2月14日条には郡内久吉郷(保)が見えるが,鎌倉末期,同保内の惣官作田などをめぐって,当郡の在地領主と思われる海保氏の内部で相論が起こっている応安8年の市原八幡宮の造営に際し,当郡は馬野郡とともに国衙領として御神輿宿1宇を負担している(三宝院文書/県史料県外)下って永正元年の舎利札に海北郡久吉保が,天文13年の千眼神社鰐口銘に海北郡引田の名がおのおの見える(県史料金石1・3)なお,南北朝期以降,当郡域は馬野郡と称されたともいわれるが(地名辞書),馬野郡に含まれてしまったわけではなく,南北朝期以降も両郡は別個の郡として併存したと思われる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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