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稲付村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。豊島郡岩淵【いわぶち】領のうち。永禄年間に江戸衆の太田康資の知行地のうち,「百八拾五貫文 江戸岩淵五ケ村」(役帳)とある5か村の1つと推定される(新編武蔵)。はじめ東叡山寛永寺(台東区)領,幕末期には,ほかに八幡社領・普門院領・法真寺領が加わる。「田園簿」の村高は390石余,うち田287石余・畑103石余。「元禄郷帳」では431石余,「天保郷帳」では478石余,「旧高旧領」では479石余となる。日本橋より約3里,3里目の一里塚があった。石神井【しやくじい】用水を引く。化政期の家数88軒(新編武蔵)。村の鎮守は香取社。曹洞宗の自得山静勝寺は,寺伝によれば太田道灌が江戸城の出城として稲付城を築いた地に建てたと伝えるが,道灌時代に築城されたかは不明である。ほかに新義真言宗の普門院がある。明治5年の戸数87・人口537(府志料)。同5年東京府,同11年北豊島郡に所属。同22年岩淵町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7297907