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市尾郷(中世)


 鎌倉期~戦国期に見える郷名。武蔵国都筑【つづき】郡のうち。市郷とも称した。永仁年間と推定される7月16日の武蔵国留守所代連署書状(武本為訓氏旧蔵文書/埼玉県史資料編5)に,「市尾所課分」と見え,武蔵分倍河原(東京都府中市)防事役を当郷が果たさないため,これを市尾入道を通じて当郷に催促していることが知られる。正長3年9月3日の鎌倉公方足利持氏寄進状(林際寺文書/県史資3下‐5833)によれば,「市尾郷」内の片山彦次郎の跡地を,二階堂盛秀の申し出によって,伊豆河津村(現静岡県河津町)の林際寺へ寄進している。戦国期の「役帳」には小田原北条氏江戸衆上原出羽守の所領役高として「四拾八貫五百文 小机 市郷」と見える。上原氏は,かつて岩槻城の太田資正の家臣であったが,天文16年8月7日の北条氏康書状写では,北条氏康の家臣となっており,当郷を安堵されている(武文/県史資3下‐6818)。ついで8月28日の北条氏康判物(上原文書/同前6819)には「市郷公事之事」と見え,城米・押立・棟別および段銭の公事を免除されている。なお上原氏が城米を免除されていることから,小机領内で目付役としての特別の地位を与えられていたと思われる(横浜市史1)。また天正2年9月11日の北条家朱印状によれば,奉行山角刑部左衛門尉によって,当地から産出する竹30本を江戸城へ進上するよう命じられている(上原文書/県史資3下‐8229)。同様の命令は,天正17年まで続き,いずれも直径6寸~8寸に及ぶもので船橋に使用した(武文・上原文書/同前9167・9222・9349・9428)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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