栗浜(中世)

鎌倉期から見える地名。相模国三浦郡のうち。九里浜とも見える。源頼朝の挙兵に応じた三浦氏は,治承4年8月平家方の畠山重忠らの攻撃に備え衣笠城にたてこもるが,その後三浦義明を残して子の義澄をはじめとする一族は,「栗浜」から船で安房に逃れた(平家物語・源平盛衰記/県史資1‐古932・933)。「吾妻鏡」寿永元年8月13日条に,源頼家誕生の際,御家人らが献上した馬が200余疋に及び,それを鶴岡八幡宮はじめ「栗浜大明神已下諸社」に奉納したことが見え,文治元年正月21日条には,頼朝が宿願あるにより「栗浜明神」に参詣した旨が記されている。また建久6年10月26日条には,「若公(頼家)御参鶴岳八幡宮并三浦栗浜大明神等給,北条五郎・比企右衛門尉能員以下五十余人供奉云々」とある。その後戦国期の「役帳」には小田原北条氏の御馬廻衆である松田助六郎の知行分のなかに,「百五十貫文 三浦 九里浜正木知行」と見える。この正木とは安房里見氏の一族である正木兵部大輔かと思われる。また半役被仰付衆の笠原佐渡の所領役高として,「百四拾九貫百四十一文 栗浜 正木ニ被下内也」と記されている。天正8年7月23日の北条氏政判物案写には,「年来之戦功不浅候,此度大船一艘仕立候間,三浦郡栗浜百五拾貫文之地進之申候」と見え,梶原備前守に当地が与えられた(紀伊続風土記所収/県史資3下‐8598)。さらに同年11月14日北条家朱印状案写では,「三浦郡栗浜郷先段出置候,新大船一艘乗組之間,彼地一切不入ニ遣之候」と,水軍としての勤めに励む梶原備前守に対し,当地を不入の地とすることを認めている(同前8614)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7303284 |





