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下海老名郷(中世)


鎌倉期~室町期に見える郷名相模国高座【たかくら】郡のうち初見は,文永元年8月21日付の沙弥仏然譲状(海老名文書/県史資1-514)で,海老名季景が三郎季直に「相模国下海老名郷内在家壱宇……田壱町三段小」を譲渡したことが知られるさらに,弘安9年9月21日にも当郷に関する仏然譲状(同前2-1035)があり,季直は以上2通を受けて,弘安9年11月23日付の関東下知状(東寺百合文書ミ/県史資2-1039)で幕府の安堵を得ているその後,建武元年12月13日の海老名通貞譲状案(同前/県史資3上-3197)にも,「さかミの国下海老名かうの中通貞か知行分田畠やしき」を嫡子尊楠丸に譲渡したことが見え,当郷は鎌倉期から南北朝期にかけて代々海老名氏に相伝されたことが知られる海老名氏は,季景の3代前の季定の頃に当地に勢力をひろめたらしく,小野系図(姓氏家系大辞典)によると,季定の第1子季久が上海老名氏を,第5子の義季が下海老名氏を称したとある同系図では季景は義季の孫にあたる海老名氏の系譜は不分明な点も多いが,以上のことから当郷に対して上海老名郷の存在も推測され,上海老名郷・下海老名郷の両郷を合わせて海老名郷と称していた時期があったと考えられるが,上海老名郷の地名は史料から確認できず,詳細は不明下って,応永9年11月7日の相模守護三浦高蓮遵行状写(鶴岡神主家伝文書/県史資3上-5320)には,鶴岡八幡宮末社三島神社の神主大伴時連が「下海老名郷領家職」を鎌倉府より安堵され下地を沙汰付けられたことが見える当郷は現在の海老名市社家地区に比定される戦国期の「役帳」に海老名下郷の地名が見え,海老名市の柏ケ谷を含む一帯に比定されるが,当郷との関連については不明




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7303688