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長尾(近代)


 明治22年~昭和57年の大字名。はじめ向丘村,昭和13年川崎市,同47年からは同市高津区の大字。一部が昭和26年向ケ丘,同36年五所塚1丁目,同46年神木【しぼく】2丁目となる。同50年河内長尾といわれた北側一帯が多摩区に編入され川崎市多摩区長尾1~7丁目となり,同57年7月には高津区の分区と同時に住居表示が実施されて同市宮前区神木本町1~5丁目となる。明治24年の戸数132,男425人・女421人,昭和25年の人口1,670,同34年の世帯数378・人口1,851,同40年1,218・4,824。平瀬川には2つの水車場があり米・麦や雑穀類などをついた。明治の中頃には谷に溜池をつくり,天然氷をはらせ氷室に貯蔵して夏に東京へ出荷。明治の末頃には豚・役牛・鶏を飼育,タケノコ・クリ・モモのほか河内長尾ではナシの栽培も行われた。大正の末頃からは養蚕にかわってトマト・ナス・キュウリ・カボチャ・ハクサイ・キャベツなどの野菜づくりが盛んになる。昭和期に入り,北西の丘陵の一角に小田原急行電鉄により向ケ丘遊園(7万2,000坪)が開設され,昭和27年からは有料となる。また昭和15年南端の一部(現神木1~2丁目付近)は軍用地に接収され東部62部隊の演習地となる。同36年頃から大規模な宅地化が進行。同42年には北東端の台地の一角に宅地造成が計画されたが,同45年までに行われた予備調査で竪穴住居址60軒余が確認され総数では200軒余の弥生集落であることが推測され,また照葉樹林シラカシ林の保護も指摘されて全域保存が決定。翌46年には東高根遺跡として県の史跡に,シラカシ林は県の天然記念物に指定され,のち東高根森林公園として整備された。同43年東名高速道路が一部開通,翌44年には市道子母口宿河原線が完成。昭和22年向丘中学校が開校。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7304353