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吉浜(中世)


 戦国期から見える地名。相模国西郡のうち。吉浜熊野社の棟札銘写に「奉造立熊野三所大権現宮御宝前,諸願成就祈所,相州吉浜谷本村,大檀那南条殿,同代官山田若さ殿,并本願,于時天文十八年己酉十一月廿七日」と見える(新編相模)。当地は「大檀那南条殿」と見える南条氏の所領と推定される。永禄9年7月19日の北条家朱印状写によれば,当地の年貢2貫文が本光院施餓鬼銭として本光寺に寄進されたが(本光寺文章/県史資3下‐7500),翌永禄10年10月12日には永禄11年から施餓鬼銭2貫文は「上中村岩倉分」から請け取るように定められた(同前7569)。次いで,天正3年11月5日の安藤豊前入道副状写に「御印判被進候,仍御寺へ寄進田二反半検地奉行三人連判状并棟別五間,此内三間門川,二間吉浜内御免之御印判,両様披露申候」と見え(保善院文書/県史資3下‐8306),小田原北条氏は保善院に5間分の棟別銭を免除しているが,そのうち2間は当地にあった。保善院には同日付で「天文九御証文遂御披見畢,自今以後,猶以彼御証文之旨,不可有相違」という北条家朱印状が発給されており(同前8305),天文9年の証文にも棟別5間の免除など,同じ内容が含まれていた。天文8年9月22日珠泉・西脇・早青の3名が寺領として2反半を保善院に寄進しており(保善院文書/静岡県史料1),先の安藤豊前入道副状写に「御寺ヘ寄進田二反半検地奉行三人連判状」と見えることから,保善院の寄進田2反半は当地と門川にあり,天文8年に小田原北条氏が検地を行ったものと思われる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7305505