100辞書・辞典一括検索

JLogos

24

下関村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。岩船郡のうち。当初は関下町と称した。はじめ村上藩領,寛永19年幕府領,正保元年村上藩領,宝永6年からは幕府領。村高は,「慶長国絵図」では「せきしもまち」99石余,万治2年検地帳738石余,「元禄郷帳」676石余,「天保郷帳」787石余。寛政6年村明細帳によれば,反別70町余,家数52・人数256,駅馬14。渡辺家は地域産業文化の発展に寄与した家柄で,初代儀右衛門は村上藩士であった。現在地には寛文7年定住したという。2代三左衛門は桃崎浜(中条町)船頭与四郎とともに廻船業を営み,桃崎浜を根拠地として大坂方面と交易した。また,酒造業を開業。3代三左衛門は,享保11年財政難の米沢藩に融資し,5代三左衛門以降同藩勘定奉行の待遇を受け扶持が与えられた。さらに,文化10年紀伊国新田・長政新田を購入,自らも文政8年渡辺新田を開発,文化・文政年間には耕地700町・山林1,000町を経営していた(渡辺家文書)。鎮守は大蔵権現(現大蔵神社),ほかに神明社がある。寺院は曹洞宗桂岩寺。明治6年桂岩寺を校舎として小学校下関校が開校。同22年関村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7310702