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福島藩(近世)


江戸期の藩名頸城【くびき】郡福島(上越市)に居城を置き越後国一円を領有した大藩藩主は堀忠俊(外様45万石,慶長12~15年)・松平忠輝(親藩60万石,慶長15~19年)の2代で,7年間存続した慶長11年堀忠俊は春日山藩主堀秀治の跡を継いだが,翌12年新築の福島城へ移り,当藩が成立したこの福島城は,慶長5年頃から父秀治が築造準備を進めていたといわれるものだが,上杉遺民一揆などで工事が遅れ,秀治は竣功目前にして春日山で病没し,わずか11歳の嗣子忠俊が老臣堀直政の輔佐で新城を完成させた同13年家老直政が死去すると,その子直清・直竒の兄弟が父の家老職を望んで争い,家臣もまた両派に分かれて抗争が激化し,同15年徳川家康は忠俊を「家中取締り不十分」の理由で改易に処し身柄を陸奥国磐城平城主鳥居忠政に預け,直清を三条城5万石収公のうえ出羽国山形の最上義光に預け,直竒を坂戸城5万石から信濃国飯山4万石に移した堀氏の福島在封はわずか3か年にすぎないが,春日山の山城を廃して,府内(直江津)の東,関川河口の平坦地に壮大な城郭を築き,同時に春日と府内に分かれていた町人を城下に集めて小町【こまち】・田端町・直江町など業種別の町域を作り,近世城下町を造営したことは,越後近世の幕開き的意味をもつ慶長15年忠俊改易の直後,家康の六男松平忠輝が信濃国川中島から福島城に入り,越後一国と川中島を合わせて60万石を領有した外様大名の堀氏を改易して親藩の忠輝を配置したのは,加賀前田氏に対する抑えと佐渡産金の安全輸送のためと思われ,交通制度の整備や金銀鉱の増産に敏腕をふるった佐渡奉行の大久保長安が忠輝の付家老ともなっている同19年忠輝は福島城を廃し,南方の頸城平野の中央に高田城を新築して移り,当藩は廃藩となるその理由は,福島城が関川と保倉川に挟まれて洪水におそわれやすいこと,海上の兵船からの砲撃をうけやすいことなどが考えられる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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