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布谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。婦負【ねい】郡楡原【にれはら】郷のうち。富山藩領。年貢が銀納であった野積谷のうち,東谷に属し(三州地理志稿),村高は正保4年303石余,元禄11年同じく(高付帳・高辻帳/県史近世下),「天保郷帳」では498石余。慶応4年の家数64・人口349(郡方人別書上帳/県史近世下)。谷折・桂原・東布谷の3村を枝村新田として有する(高辻帳/県史近世下)。寛文7年飛越国境相論が起こり,同13年江戸幕府評定所が取り上げ,当村渡辺佐五兵衛の主張にもかかわらず,延宝2年越中側の敗訴と決まったが,複雑な影響を後世に残した。元和2年の創建と伝える真宗西派聞名寺末の光現寺があった(婦負郡寺院明細帳/八尾町史)。明治3年平野伝兵衛を里正とする楡原組に属す。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年婦負郡野積村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7320907