内尾(近代)

明治22年~現在の河内村の大字名。明治22年の戸数68・人口379。明治26年当地まで直海谷道路が開通,同29年の水害で7戸流失,2戸埋没。同36年の大火で14戸焼失。簡易科内尾小学校は同32年白山尋常小学校内尾分教場となり,同40年校舎新築。同分教場は昭和26年内尾小学校と改称。大正10年内尾消防組を組織。同11年の洪水で民家5戸,地内の橋全部流失,死者1。同年の戸数66。昭和33年公衆電話を設置。同35年の戸数54,このころから過疎化が激しくなる。同43年地内の道路舗装が完成。同46年に簡易水道がつく。同47年に内尾小学校・中学校は廃校となり,河内小学校・中学校に統合。同年キャンプ場を開設,同48年養魚場を開設し,テレビ共同アンテナを設置。同49年千丈滝線の道路開設工事が始まる。昭和47年の世帯数24・人口66。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7323418 |





