深瀬(近代)

明治22年~現在の尾口村の大字名。耕地と山林に恵まれず,白山を開山した泰澄に教えられたと伝承する檜笠生産が主産業。大正期に13万余枚,昭和5年に15万枚の年産があった。明治43年初めて車道を敷設。大正11年の歩荷業17人・馬車3台。大正10年の大火で70戸中20戸焼失。また昭和9年の手取川大洪水で77戸中38戸流出,死者12名を出した。この水害を契機に転出者が増加。同50年手取川多目的ダム建設に伴う水没のため,代替地に数戸を残し鶴来【つるぎ】町・金沢市方面に転出。鶴来町七原【しちはら】町地内に深瀬町を新設した。戸数・人口は明治22年75戸・431人,昭和48年63戸・236人。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7327444 |





