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池上村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国南条郡のうち。はじめ福井藩府中本多氏知行所,貞享3年幕府領,明和元年から三河西尾藩領。村高は,「正保郷帳」で田方1,125石余・畑方70石余の計1,196石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。貞享2年には枝村として土ケ森が見える(越前地理指南)。貞享4年には,反別が田74町6反・畑5町3反,家数53・人口308,うち高持28軒178人・雑家25軒130人(林家文書)。字大堤にある恩沢池は,文化5年に西尾藩の援助のもと,2つの池を合わせる大堤を築き,次いで天保元年に再び築堤工事を行って完成したものである。これによって干害を免れることがようやく可能となり,恩沢池と名付けて慶応2年に記念碑が建てられた。寺院はまず浄土宗光明山大林寺(通称池ノ上善光寺)。応永19年に良信を開山として建てられたという。次いで浄土宗瑞竜寺は,慶安4年に開基順宗が開山芳誉を迎えて創建されたとされる。また曹洞宗禅明院は,享保17年に開基正光空念が竜泉寺呑海木舟を開山として建てた。さらに曹洞宗宝泉寺は,延宝8年に洞源寺正応祖心が建てた。神社には春日神社・神明神社があったが,神明神社は明治末年春日神社に合併された。明治4年西尾県,以降敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。明治6年には100戸であった。地租改正に際しての調査では,田67町6反余で収量987石(反当たり1石4斗6升),畑2町3反・宅地4町2反・藪4反・林3反・草2反・瓦焼場1反余などもあった。明治6年切偲小学校が瑞竜寺・禅明院を仮校舎にして設置。同20年切偲小学校は廃止され,広瀬村の陶冶小学校に合併された。同22年茶臼山村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7329216