帰村(近世)

江戸期~明治22年の村名。越前国南条郡のうち。福井藩領。村高は,「正保郷帳」で田方175石余・畑方81石余の計256石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。当村の南方500mのところに,慶長9年設置の一里塚がある。また,北方300mのところに,安産の神として不動明王を祀るコツラ清水があり,妊婦がこの水を飲んで祈ると必ず安産すると語り伝えられている(今庄町誌)。明治初年の地租改正の査定によれば,田27町2反余・畑3町2反余,同11年の戸数32・人口170(南条郡誌)。同21年の戸数33・人口151,田27町4反余・畑3町1反余・宅地1町2反余・山林59町5反余など計94町5反余(同前)。明治4年福井県,以降敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。同22年鹿蒜村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7330173 |





