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樫曲(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ東郷村,昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西13町余・南北2町,戸数71,人口は男198・女219。世帯数・人口は,大正9年79・432,昭和10年78・433,同30年87・513。内池見・中池見・余座池見とも開発以前は老杉・諸樹木が密生していたらしく,埋木が深み一面に散在し,耕作に多大の支障をきたした。昭和25年頃には火薬を用いて掘り上げ整地を行った。池見道は狭い一本道で収穫期の稲負い作業は厳しく,足の指を痛めない者はなかった。江が利用できる所は田舟で江尻まで運んだ。大正期に入り,大八車の普及とともに道路拡張の必要に迫られ,大正13年車道に改修した。昭和10年頃からリヤカーが普及,同11年には一挙に20台が購入された。深山寺の集落は明治初期,通称お山と呼ばれる標高165mの小山の東部平坦地に立地していた。第2次大戦後はこの山地から,木ノ芽川右岸の平地に移動した。最後まで残った願教寺本堂も昭和35年現在地に移築し,観音堂と願教寺の鐘楼のみが残った。しかし,北陸自動車道が通過することとなり,昭和50年頃を最後に旧集落の屋敷は跡形もなくなった。弘法大師開基と伝える観音堂は深山寺といい,県道沿いに移築された。深山寺の世帯数・人口は,昭和12年16・91,同30年33・202。同55年一部が藤ケ丘町となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7330231