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北村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国今立郡のうち。福井藩領。村高は,「正保郷帳」で2,127石余うち田方2,005石余・畑方121石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。村高のうち,福井藩の蔵入地は375石余だけで,あとは府中本多氏知行所126石余をはじめ,酒井外記・狛木工・芦田図書など12名の相給地であった(岡部家記録)。寛政元年の宗門帳による戸数96・人口384。大村であるため,耕地の配分や用水に関する紛争も多く,そのため,記録上では明治9年を最後としているが,それまで17年毎に土地の割替をして調整を図っていた(北町有文書)。また,千僧供村との土呂川紛争,下真柄・戸谷・長尾との水論など,江戸期を通じて江戸公事に発展したことも少なくなかった。このうち,最も深刻だったのは土呂川の胴木伏替をめぐる紛争であった。現在,神明神社境内に「三社様」と呼ばれる社堂があるが,これは明治2年当村の農民が胴木を破壊し,捕縛入牢するもの50余名に及ぶ事件が発生したことから,福井藩郡奉行鈴木準道・用水掛徳山明定が斡旋し,藩主松平茂昭の実地検分のうえ,全員を放免するとともに,現在の松ケ鼻用水組合につながる盟約締結の運びとなり,永くその徳に感謝するために建てられたものである(松ケ鼻用水沿革史)。寺院は天台真盛宗正源寺。「名蹟考」には北村下総守の城跡に高源寺ありと記され,同寺の縁起によれば明治12年正源寺と改称した。明治4年福井県,以降敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「敦賀県管轄区分表」による戸数128。同22年北新庄村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7330653