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久々子村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。三方郡のうち。小浜藩領。村高は,「正保郷帳」では田方427石余・畑方47石余,計475石余,「稚狭考」では600石余,「天保郷帳」では740石余,「旧高旧領」では808石余。「雲浜鑑」では787石余,戸数115・人数450。著しい村高の増加は,寛文2年の地震により湖岸が隆起し,田地を開拓,さらに寛文5年荒井用水の完成による新田開発などに起因する。神社は江本大明神・弁才天・宗像・愛宕・秋葉・若宮八幡がある。このうち江本大明神は,明治4年式内社の佐支神社と認定され古名に復した。気山地籍の家端山に久々子村が開かれた折,同社は古崎に鎮座し,佐支神社と称した。村移転後,現在の小島崎に遷座,江本明神と改称したと伝える(三方郡誌)。伴信友は「神社私考」のなかで「此神社,今詳ならず,国帳にも見え給はず。そのかみ社号の異りたるか,又既く廃給へるか。郡中井崎村あり。守護次第には伊崎と書り。この伊崎もし古名佐支とは云はざりしか」と述べている。祭神は素盞嗚尊,「旧藩秘録」には「江ノ本大明神 正月・四月朔日・三月三日・五月五日・九月九日・十一月初午ミキ白蒸備」とある。飯切山の海岸には弁天,万福寺には弘法大師が祀られている。昔,大蛇が出没して村人を苦しめていたのを,旅の僧が退治したという蛇洞【じやうろ】と呼ばれる洞穴がある。宇波西神社の例祭には獅子舞を奉納する。祭礼の前日にまな板の儀,オワケサン立ての儀,烏帽子儀などの神事が行われる。11班の宮座があり輪番で頭屋をつとめる。神社の宮守りを祝部【ほうり】と称し,1年間神社の世話を受持つ。1番の祝部は佐支神社,2番は毘沙門天の宮守りで多聞天とも称する。3番は水神宮を担当,翌年祝部は元祝部,多聞天は祝部というように年毎に繰り下げて役目を担当する。寺院は真言宗万福寺,曹洞宗久音寺・瑠璃寺がある。瑠璃寺について「三方郡誌」は「大永二年の須摩盛長の手記に,その名見えたり。当時何宗なりしか詳ならず」と述べている。久々子湖産の鰻は京都へ運ばれ賞味されたが,久々子を冬子と誤り冬子鰻と呼ばれた(三方郡誌)。蜆貝も特産であった(若狭郡県志)。明治4年小浜県,以降敦賀県,滋賀県を経て,同14年福井県に所属。明治6年久音寺に篤将小学校が開校,久々子・松原両村の児童が通学した。のち同38年久々子尋常小学校と改称。明治22年西郷村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7330823