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国兼村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国南条郡のうち。福井藩領。村高は,「正保郷帳」で田方855石余・畑方41石余の計896石余,うち大塩八幡社領50石,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。貞享2年には枝村として西谷・宮ノ尾(現宮ノ郷)・一本杉がある(越前地理指南)。このうち一本杉には茶屋と一里塚があった。寛文8年の家数63うち家銀取立分45・寡など11・寺2・八幡宮別当など5(佐久高士収集文書)。寛政4年には家数56うち高持29・雑家25・孀2,人数230(馬場家文書)。なお,弘化3年の百姓連署証文(大塩八幡宮文書)では,枝村西谷の百姓10人が署名して溜池維持の取り決めを作成しているが,これがこの時点の西谷の高持百姓数であろう。寺院は天台真盛宗慶法山常光寺。もと天台律宗で,真盛上人に帰依して転派したという。また天台宗の宝光寺もあったが,文化12年に廃寺になった(高橋家文書)。神社は大塩八幡宮。寛平3年に石清水八幡宮を勧請したといい,慶長8年に結城秀康が社領30石を寄進。境内社6社がある。ほかに大神下前神社・宇佐神社・愛宕神社・若宮神社・日野神社もあったが,明治末年にいずれも大塩八幡宮に合併された。明治4年福井県,以降敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。明治6年の戸数76。地租改正に際しての調査では,田が反別52町4反で収量787石(反当たり1石5斗),畑1町6反・宅地3町1反・藪1反・草1反・秣1反・萱1反で,瓦焼場などもあった。明治5年推誠小学校が開校されたが,同9年に中村の思成小学校に合併された。明治22年王子保村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7330861