野岡村(近世)

江戸期~明治22年の村名。越前国今立郡のうち。はじめ福井藩領,貞享3年幕府領,元禄5年大坂城代土岐頼殷領,正徳2年幕府領,享保5年から鯖江藩領。もとは山室村と一村。「名蹟考」では山室村を当村の枝村と記している。「正保郷帳」では山室村と合わせて「野岡山室村」とあり,その村高は1,281石余うち田方1,149石余・畑方132石余。「元禄郷帳」では野岡村として村高646石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。元禄5年から約20年間土岐頼殷が今立郡内に領知を有したが,正徳2年の転封まで土岐氏は当村に陣屋を置いて支配した。享保6年の庄境組村明細帳によれば,家数52うち本百姓18・水呑百姓34,人数208。明治4年鯖江県,以降敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。明治5年の家数95・人口432。同22年南中山村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7333334 |