平山(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ加戸村,昭和29年からは三国町の大字。明治24年の幅員は東西2町余・南北2町余,戸数65,人口は男156・女172。世帯数・人口は,大正9年64・326,昭和10年63・314,同30年81・394。明治37~38年の日露戦争記念として熊谷次三郎が北陸養魚場を経営し,地内に点在していた82町余の溜池を養鯉池にし副業として営む人々を指導した。昭和15年農民道場が設置され青少年農業後継者の修練の場とし,さらに満蒙開拓義勇軍の養成も兼ねた。同20年地内に6世帯・19人が緊急開拓農地開発事業の入植者として開拓集落をつくった。同44年から北部丘陵地帯の国営開発パイロット事業が行われ,排水不良箇所が改良された。近年西瓜・大根・白菜などの栽培が進められた。また,ミンクの飼育も行われ,酪農などの畜産経営者が増加している。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7333723 |





