堀村(近世)

江戸期~明治22年の村名。越前国丹生郡のうち。はじめ福井藩領,正保2年松岡藩領,享保6年から福井藩領となる。村高は,「正保郷帳」で田方298石余・畑方28石余の計326石余。枝村に小谷村があり,「元禄郷帳」では,小谷村96石余を分離し,村高229石。「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」もともに229石余。「名蹟考」によれば,元禄14年丹生郡のうち10か村の村名改称届により,同郡のうち安居郷の堀村との混同を避けて山干飯堀村と呼ぶとある。「元禄郷帳」「天保郷帳」とも山干飯堀村とあり,「旧高旧領」では再び堀村と見える。寛政4年の支配下村々高家人数留(越前宗門帳)によれば,家数10うち高持6・雑家4,人数37。寺社は法華宗真門流寛証山妙証寺と三柱神社。妙証寺は「名蹟考」にも寺名が見えるが,由緒沿革は不詳。古老によると,或年の正月頃,日像菩薩が当村の疫病に苦しむのを愍み,祈祷したところ直ちに皆癒,そこで一村ことごとく宗門に帰依して寺院を建立したという(武生市史)。なお昭和37年以来無住で,檀家が管理している。三柱神社は,祭神は伊邪那岐尊・伊邪那美尊・天照皇太神,大正9年二階堂の村社白山神社に合祀された(同前)。天保5~9年の天保飢饉での餓死者数は計37名で,特に同8年は21名と多い(若越郷土研究)。明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。明治8年二階堂村の矯倫校と米口村の一貫校を合併し,妙証寺に温故小学校を創設。同10年当村など15か村共同で温故小学校を新築。同14年には分校を小野村に建てた。同22年白山村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7334016 |





