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和田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国丹生郡のうち。村内は一ノ和田・二ノ和田・三ノ和田に分けられる。また,南西に栗屋谷・山室の枝村がある。枝村は,「越前地理指南」には二ノ和田・栗屋谷・山室が,「名蹟考」には市和田・栗屋谷・山室が記載される。貞享2年の越前国絵図(松平文庫)にも「分村三ケ所」と記載されている。はじめ福井藩領,貞享3年幕府領,元禄10年高森藩領,のち幕府領,宝暦8年から美濃郡上藩領。村高は,「正保郷帳」では558石余(田方365石余・畑方193石余),「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」でも558石余。「越前地理指南」に「石間歩アリ」と見え,「越前地理便覧」「越藩拾遺録」にも石材の産地として当村の名が見え,古くから良質の石を産出した。この石材は,石英粗面岩の性質を強くもつ凝灰岩である(丹生郡誌)。享保5年の余田組諸商売諸職人改帳(笹生家文書/武生市史諸家文書)には石切職人2人の名が記載されている。元文元年の和田村年貢免定(館家文書/鯖江市史)には夫米・山手金・糠代・藁納代のほか石切役として永100文,安永9年・寛政2年・文化7年・同13年の免定には石切役として永33文余が記載される。延享3年の村鑑帳(丹尾家文書/同前)によれば,田高369石余・畑高189石余,植木は漆・桑・楮・木実,畑作物として大豆・小豆・大麦・小麦・黍・稗などが記載されている。また,耕作の間に男は莚・菰,女は苧・かせを作り,山手銀のほか石切役銀6匁を定納し,家数67・人数322(男161・女161)。慶応3年の宗門人数改帳(館家文書/鯖江市史)によれば,家数78(庄屋組頭2・百姓43・水呑33)・人数397(男198・女199)。「名蹟考」によれば,畳表を生産していたことがわかる。浄土真宗大谷派仰明寺は泰澄大師の創建と伝え,もと真言宗で宝瓶院といったが,寛正5年一恩の代に蓮如に帰依し,仰明寺と称し,石山合戦にも参戦したという(丹生郡誌)。同派照臨寺は慶安4年仰明寺の誓伝が隠居して庵を建立し,天和2年照臨寺の寺号を受けた(豊村誌)。明治4年郡上県,以降福井県,足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。明治5年に尽誠小学校が設立された(同前)。「改正敦賀県管轄区分表」では戸数85。同14年の戸数87・人口413うち男205・女208(丹生郡誌)。同22年岡山村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7334894