下室賀村(近世)

江戸期~明治22年の村名。小県【ちいさがた】郡のうち。上田藩領。村高は,「元和高石帳」で貫高202貫文・石高498石余,「正保書上」「元禄郷帳」とも同高,「天保郷帳」605石余,「旧高旧領」も同高。宝永3年の家数110・人数506,馬85,諸役として馬草・すぐり藁・葺萱・渋柿・すさ藁を上納した(上田藩村明細帳)。城主在城年には台所用青物類を月に5日割当てられ,さらに大名通行時には北国往還上田城下原町・海野町,田中宿・海野宿への寄人馬を命ぜられた。刈敷は上室加山・所山から採取。村内田中組の集落に浄土宗専念寺があり,ほかに神明宮・明神宮・権現宮・観音堂がある(同前)。明治2年の村高家数人別帳による家数109・人数795。同4年上田県を経て長野県に所属。同6年専念寺に有新学校を開校,上室賀村・下室賀村・小泉村を通学区とした(上田小県誌)。「県町村誌」によれば,田53町余・畑61町余・宅地8町余,戸数205・人数938,馬24,主要産物は米878石・大麦200石・小麦100石・菽7石・桑7,875束・松茸10貫・繭25石・瓦2万1,600枚・清酒45石・生糸209貫など。なお江戸中期から養蚕業が広まり,幕末には蚕種業も発展,明治6年の蚕種製造戸数は春種38戸であった(上田小県誌)。この養蚕業の発展で座繰製糸が始まり,また蚕種業の出殻繭から真綿・紬糸の生産や紬縞・上田縞が織られ,主要な現金収入源となっていた。同21年の戸数196・人数965(小県郡史)。同22年室賀村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7339865 |





