諏訪郡

明治4年11月高島県は筑摩県に統合され,同6年4月の大区小区制では諏訪郡は3大区に分けられた。同7~8年,江戸期の旧村は24か村に統合された。明治9年8月筑摩県と長野県の統合により現在の長野県に所属。明治12年1月,郡区町村編制法により新たに行政区画として県下に16郡が設置された際,諏訪郡24村,人口6万3,949人はそのまま一郡となり,上諏訪村に郡役所を設置,郡長が任命された。同24年4月1日県下に郡制が施行され,諏訪郡も地方自治体としての郡に移行し,理事機関の郡長,議決機関の郡会・郡参事会が置かれた。郡制は大正12年4月1日廃止され,郡役所も同15年6月30日に廃止となった。その機能の大部分は県,一部は市町村に移管され,以後郡には県の連合事務所(地方事務所)が設置される。この間に,幕末開港以来急速に発達してきた製糸業が,平野村はじめ郡下で大発展し,全国一の製糸業地を形成した。明治38年11月に中央東線の富士見~岡谷間が開通,富士見・青柳・茅野・上諏訪・下諏訪・岡谷の各駅が設けられ,郡北部の製糸業,南東部の養蚕業や上諏訪・下諏訪の温泉観光などの発達を促進した。製糸業は第2次大戦以降精密機械工業に転換し,別荘開発を含む観光業や八ケ岳山麓の高冷地農業なども伸びている。町村の変遷では,明治22年の市制町村制施行によって,上諏訪・豊田・四賀【しが】・中洲・湖南・下諏訪・富士見・落合・境・本郷・原・平野・湊・川岸・長地・永明・宮川・玉川・金沢・泉野・豊平・湖東・米沢・北山の24か村が成立。同24年上諏訪村,同26年下諏訪村が町制を施行した。昭和11年製糸工場地帯の平野村が岡谷市となり,同16年上諏訪町・豊田村・四賀村が合併して諏訪市となった。さらに第2次大戦後の町村合併によって,明治8年成立のまま続くのは原村だけになる。永明村は昭和23年ちの町となり,同30年宮川・玉川・金沢・泉野・豊平・湖東・北山・米沢の各村と合併して茅野【ちの】町となった。同年中洲村・湖南村が諏訪市に,川岸村・湊村が岡谷市にそれぞれ合併し,富士見・落合・本郷・境の各村が合併して富士見町となった。昭和32年長地【おさち】村が岡谷市に合併し,翌33年茅野町は茅野市となる。この結果現在は,下諏訪町・富士見町・原村の2町1村となっている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7339981 |





