辰野(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ伊那富村,昭和22年からは辰野町の大字。明治24年の戸数210,人口は男591・女573,厩105・学校1・水車場4。同39年下辰野に国鉄中央線辰野駅が開業。同時に駅前道路が宮木まで開通し,横川川には伊那富橋が架設。駅前には旅館・運送店・飲食店などが営まれ,同42年伊那電気鉄道が開通し西町駅が開業するに及んで,次第に大きな駅前集落が形成された。運送業は急速な発展をし,大正初年には12軒の運送店が軒を並べ,倉庫も急増し,倉方300人・仲仕60~70人をかかえた(辰野駅開駅50周年記念誌)。こうした運送業の繁栄も,大正13年伊那電気鉄道と国鉄中央本線との貨物直通輸送が開始され,次第に衰退。天竜川の沿岸には毎年沢山のホタルが発生し,戦後ほたる祭りが始められた。世帯数・人口は,大正9年753・3,649,昭和50年1,027・3,719。同51年一部が中央となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7340232 |





