天神堂村(近世)

江戸期~明治22年の村名。高井郡のうち。古くは新町新田と称し,慶長17年に改称したと伝える(県町村誌)。慶長15年飯山藩領,元和2年幕府領,寛永16年飯山藩領,享保2年からは幕府領。村高は,「正保書上」「元禄郷帳」ともに583石余,「天保郷帳」444石余,「旧高旧領」452石余。慶長12年の千曲川大洪水により宅地・耕地の大半が流失し,住民は各地に移住したが,その後河道が変わり土砂堆積により旧状に戻った。同15年以降藩主堀直寄により千曲川沿岸の築堤,および主水・賀兵衛・善兵衛・掃部の4名の農民を肝煎として新田開発を進め,3か年を要して復興したが,同18年再び千曲川の洪水により坂井村と当村の耕地200町余が流失し,両村のうち村内にとどまったのは28戸,再び他村への移住を余儀なくされた(木島村誌・村史ときわ)。その後再び復興され,寛保2年の千曲川大洪水により,民家の半数以上が流失し,冠水3丈9尺と伝える(県町村誌・村史ときわ)。文化15年の村明細帳によれば,村高435石余,戸数87・人口416,馬11,天神宮のほか慶安2年建立の神明社・伊勢社,および安永8年建立の観音堂(上木島村天然寺末寺)が書き上げられており,村内には商人4人・大工2人・農鍛冶1人が居住。地内の天神堂は,慶長18年飯山堀直寄が社領12石を寄進,境内の神木は千曲川・樽川の洪水にも崩壊せず「川欠除の木」と伝える(県町村誌)。明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属。同12年下高井郡に属す。明治11年の戸数95・人口478,産物として米479石(うち92石余飯山町・中野町へ移出)・稗85石・大豆90石(うち40石飯山町へ移出)・菜種72石(すべて飯山町・中野町へ移出)・真綿270貫・繭1,200貫・蚕種紙4,000枚(うち3,500枚横浜へ移出)などがあり,明治8年調の田38町余・畑56町余(県町村誌)。明治元年・同2・3・15・18年と千曲川の洪水による被害を受けた(村史ときわ)。同21年の戸数91・人口497(県市町村合併誌)。同22年木島村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7340373 |





