100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

非持(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ美和村,昭和34年からは長谷村の大字。明治24年の戸数192,人口は男589・女473,厩154・学校2・水車場2。明治末期から大正初期には多量の収繭量を挙げる。明治27年金沢線道路を改修。この頃三峰川に鳥坂堤防を築き,鳥坂河原を開田したが,大正3年の大洪水によりことごとく流失。明治40年頃から学校敷地問題で溝口と対立。同44年非持学校は消失し,観音寺を仮校舎とする。大正6年非持分教場は本校に統合される。同15年乗合自動車が通る。昭和11年の戸数220,養蚕農家203・炭焼家53,馬78。土地種別面積は桑園71町1反・蔬菜園4町5反余・雑穀畑6町7反余・水田63町2反・原野59町6反余で,大麦・小麦・大豆・小豆・粟・稗・ソバを作り,収繭量1万610貫。同27年美和診療所開設。昭和32年美和ダム堰堤・美和発電所が完成,田8町2反余・畑4町6反余が水没,15世帯が移住。ダム湖は山渓の地を一変し,昭和33年美和湖・高遠湖を中心に県立公園に指定された。同36年長谷一貫水路・非持山導水トンネル工事完了。同40年頃から工場が進出。同44年老人ホーム栃ノ木荘完成。世帯数・人口は,大正9年240・1,221,昭和45年216・976,同55年217・876,同年火打平に営林署貯木場設置。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7341163