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真々部村(近世)


 江戸期~明治7年の村名。安曇郡のうち。松本藩領。成相組に属する。村高は,「慶長改帳」821石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに426石余,「天保郷帳」783石余,「旧高旧領」876石余。屋敷割の殿村が江戸期の本郷にあたり,郷蔵が置かえた。その西の街道沿いの割町を町村といい,高根市・保高市など市立を示す地名が残る。糸魚川【いといがわ】街道は,松本から奈良井川・梓川を渡って当村の長尾前に入り,町村を安曇の起点として北へのびている。江戸中・後期の村高の増加は,巾下の水田化による。明和元年の馬数21。安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5‐1)によれば,家数95・人数631(男320・女311)。19世紀に入ると作間稼に村内の子女を集めて綿打業を営む家があり,文政8年松本藩主戸田氏治政100年の祝いに綿打仲間が綿を献上,藩主は金200疋を出して褒賞している(本山家文書)。鎮守は諏訪明神で,中村に古宮跡がある。寺院は曹洞宗住吉山真光寺・同宗瑠璃光山常松寺・浄土宗勢宝山円通寺・同宗無量山専念寺・浄土真宗大円山真行寺・臨済宗金桑山真珠院があり,ほかに十王堂があった。のち排仏毀釈で全寺が廃寺となるが,専念寺および金竜寺(旧真珠院)・正敬寺(旧真行寺)は復興する。明治4年松本県を経て筑摩県に所属。明治初年専念寺に真々部学校が開校,明治6年の生徒数は男65・女9。同7年の戸数165・人口701,税地88町余(南安曇郡誌)。同年高家【たきべ】村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7341612