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森村(近世)


江戸期~明治8年の村名安曇【あずみ】郡のうち木崎湖南端の西岸に位置する西山麓には糸魚川街道,さらに西方には朱印地大沢寺に通じる駒沢道(万鼎道)が通るまた東の大道へは,湖の南,一本橋で合し大町に通じており,森村は,古来から四通発達の地であったことを示している天正12年と推定される卯月25日の某宛小笠原貞慶書状案によれば,上杉景勝が海津城へ撤兵したあと,「森之要害」へ普請・横目役として二木九右衛門・同六右衛門を派遣している(御書集/信史16)「信府統記」によると,同城は仁科氏累代が居住したという(信叢6)その城跡が現在,木崎湖を望む仁科神社境内地のある丘の上に残る(大町市史)明治15年の地籍図には,短冊型屋敷割が見え,森城家臣団の屋敷跡を残す森城外郭の外堀を表す「トボリ」の地名も残る松本藩領大町組に属する村高は,「慶長改帳」19石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに22石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに34石余貞享4年大町組宗門改人数寄帳(県史近世史料5‐1)によれば,人数49うち男26・女23元文4年大町組家数村別帳(同前)では,家数15うち高持軒役家12・高持無軒役3安政2年安曇筑摩両郡村々明細書上帳(同前)によれば,家数27・人数113村の中央に,仁科三十三番札所第14番の福聚堂がある明治4年松本県を経て筑摩県に所属同8年平村の一部となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7341904