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金山村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。美濃国可児郡のうち。明暦2年,兼山村と改める(濃州御領分之内村々方覚帳/県史)。はじめ幕府領。元和元年より尾張藩領。「元和領知改帳」ほか各郷帳とも村高は149石余。「正保郷帳」では,この元高に新田272石と見える。このほか正保2年の無地高は308石で,当時,商湊として営業面での利益をあげていたことが知られる。寛文・元禄年間の業種は油屋・畳屋・曲物屋・塗師屋・筆屋・薬屋・傘屋・太鼓屋・鍋屋・呉服屋・紺屋・仕立屋・菓子屋など。酒造業も盛ん。村内には江畠町・古町・渡町・下ノ町・本町と称する町場がある。河港の町としても繁栄したが寛政年間には衰退。寛政年間の戸数320・人口989(濃州徇行記)。寛政6年,当地の豪商山本増四郎に対する藩配当樽数は720樽。嘉永元年から明治2年にかけては,商取引の便をはかり,銭24文・16文・12文の3種の「兼山札」が発行されている。また享保14年,山本藤九郎は尾張藩の指名で高倉野(御嵩町)や柿田(可児市)間々原(小牧市)の新田開発に取り組んだ。嘉永より安政期にかけて打ち続く不作のため農民のうち耕作田をやむなく放棄する者が激増し,荒れ田畑は約3町に及んだ。当地内の寺院には浄土宗浄音寺,臨済宗可成寺・大通寺,真言宗神照寺,日蓮宗専養寺・森立寺,真宗西念寺・常照寺,神社には貴船社ほか8社があった(兼山町史)。明治4年岐阜県に所属。同24年の戸数293・人口1,290(震災誌附1)。同22年市制町村制に際し町制施行。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7343615