椿井郷(中世)
戦国期から見える郷村名美濃国多芸【たぎ】郡多芸荘のうち養老山麓に位置し,現養老町石畑付近に比定される「蔭涼軒日録」寛正6年5月7日条に「常徳院領濃州椿井郷就海道之事」とあるのが初見この日,幕府は勢至寺の相国寺常徳院領に対する押領の停止を守護に命じているその後,天文13年9月16日斎藤道三は稲葉山城の祈祷のため当郷を伊勢太神宮に寄進,以後織田信長・信忠・信孝父子からも同宮領として安堵された(神宮文庫所蔵文書)なお,明応年中の椿井郷公田御年貢銭帳によれば山本・全阿弥・魚屋などの名田があった(山幡清重氏文書/養老町史)江戸期に入り,当郷の名は見えずその一部が石畑村となり,元和3年同神宮領は同村のうち50石に改められた(養老町史)
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7345326 |