100辞書・辞典一括検索

JLogos

63

駿東郡


郡内には沼津藩・田中藩・相模国小田原藩・同国荻野山中藩・三河国西尾藩など各藩領と幕府領・旗本領が混在する。天正18年中村一氏が駿河国を領すると,弟一栄は当郡の沼津(三枚橋)城に入った。一氏の移封後慶長6年,大久保忠佐が沼津藩2万石を領し,沼津城に入ったが同18年忠佐除封により廃藩となる。慶長6年に当郡の興国寺城に入り1万石を領した天野康景は慶長12年除封され,興国寺藩は廃藩となる。安永6年水野忠友を藩主として2万石の沼津藩が再び形成され,とりこわされた旧城跡に新たに沼津城が築かれた。石高・村数は,「元禄郷帳」4万9,664石・181か村,「天保郷帳」5万2,650石余・171か村,「旧高旧領」5万2,530石余・179か村。「旧高旧領」では幕府領4,768石余・小田原藩領1万6,590石余・西尾藩領263石余・沼津藩領1万3,032石余・荻野山中藩領2,009石余・田中藩領2,765石余でほかに旗本領・寺社領がある。天明7年小田原藩領の御厨村ほか18か村で飢饉のための御救米の要求と代官を非難する農民500人が強訴をした。安永5年同藩領深良村ほか28か村で箱根用水の配分をめぐる水論があった。宝永4年富士山の大噴火により当郡北部の59か村は降石・降灰の大きな被害があった。それらの農村復興のため関東郡代伊奈忠順は全国の幕府領・私領から高100石に付き金2両を出させ,その40万両の資金によって降灰3尺以上の村39か村には翌年にかけて毎月1人1合の割合で扶助米を与え,他の村には田畑1反に付き銭300文または金1分余を与えた。忠順は除砂工事と発掘も行い各村から人夫として15~60歳までの屈強の者を出させ手当金を与えた。こうした農村の復興事業は忠順からその子忠達に引き継がれ寛保2年に目的を達成した。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県に所属。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7350808