中方村(近世)

江戸期~明治22年の村名。遠江【とおとうみ】国城東【きとう】(城飼【きこう】)郡のうち。寛永2年佐束村から分村(佐束村誌)。はじめ横須賀藩領,天和2年幕府領,元禄年間から旗本長谷川氏領を経て,文政10年からは丹波国篠山藩領となる。村高は,「元禄高帳」691石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに687石余。「遠淡海地志」によれば戸数80。稲作を主とし五穀のほかソバ・ゴマ・ゴボウ・フキ・チサ・藍・木綿などを栽培。用水は主に溜池を利用。助郷は東海道日坂宿に出役。鎮守は大明神社。寺院は曹洞宗宗禅寺・同宗全体寺があった。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て,同9年再び静岡県に所属。明治22年佐束村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7351836 |





